品川


 日本橋を出て約2里、品川は東海道で最初の宿場でした。宿場の規模は大きく、旅籠(はたご)の多くは遊女として男の遊興の相手をつとめる飯盛り女を抱えており、 江戸でも屈指の岡場所(幕府非公認の遊里)として栄えました。 この絵で広重が描いているのは、画面手前に傍示杭があることから品川宿の入り口付近であるとわかります。

 赤い提灯(ちょうちん)を吊した簡素なつくりの茶屋が四軒連なっていますが、ここ品川や隣の高輪の海岸は、江戸湾(東京湾)に面した眺望の良さを売り物とした茶店が繁盛していました。 宿場名を記した画題脇の瓢箪形の印は白抜きで「日之出」と読めます。一枚前の「日本橋」ではまだ夜が明けていなかったのが、この品川に来てようやく朝日が昇ってきたという設定で、水平線近くの空が赤く摺られています。 最後尾が描かれた大名行列も、一枚前に日本橋を出たものがここまでたどり着いたという設定なのかもしれません。浮世絵版画は手摺りの木版ですので、摺り上がりは一枚一枚微妙に異なり、同じ図でも、部分的な配色が異なったり一部の色やぼかしを省略したり、といった違いがしばしば見られるのです。

ところで「日本橋」同様、この図でも、空間の奥行き表現に力を注いだ広重の絵づくりの工夫が随所に見られます。街道沿いの家並みや行列の人間が、画面右奥に向かってだんだんと小さく描かれる透視図法(線遠近法)的な描写はもちろんのこと、帆を張った船や、停泊する船も画面左奥の水平線に向かってだんだんと小さく描かれています。 陸地も大きく湾曲しながら水平線に向かって小さくなり、よく見ると空の青い雲のかたちもそれに呼応したかたちをしており、鑑賞者の視線を画面奥へと誘っているようです。