戸塚


 戸塚宿は現在の横浜市戸塚区。ここでも、かつての宿場町はJR戸塚駅を出てまもなくのところにありました。ひとつ手前の保土ヶ谷宿までは武蔵国ですが、戸塚宿からは相模国になります。戸塚宿を貫流する柏尾(かしお)川に架かる橋が吉田橋(現在の吉田大橋)で、 広重はこの橋の東のたもとから西の方角を望んでいます。画面右方に軒を連ねる宿場町を配し、左方に遠景へと続く広やかな空間を置く構図は、これまで見てきた「品川」「神奈川」「保土ヶ谷」とも共通するものです。

 画面左手前に「こめや」の看板の掛かる茶店が描かれていますが、この店はかつて実在したものです。軒下に下げ札が数多く描かれていますが、これは神仏を祭り、参詣する「講(こう)」と呼ばれる団体の特約店であることを示したもので、「大山講中」は相模国大山の石尊大権現(せきそんだいごんげん)(阿夫利(あふり)神社)へ参詣する講。 「百味講」は江の島弁天詣で、「太々講」は伊勢詣での講のことを指します。 橋のたもと、石灯寵の脇に「左りかまくら道」と彫られた石の道標が立っていますが、ここから道を左(南)にとり3里行くと鎌倉の鶴岡八幡宮に至りました。 この図ではこの鎌倉街道のことを副題に「元町別道」と記しています。戸塚宿は、東海道に鎌倉街道、大山道(街道)が交差する交通の要衝だったのです。

 この図では「えいやっ」という風に馬から飛び下りる旅人が措かれていますが、なぜか異版では旅人は馬に乗ろうとする姿にそ描き変えられているものもあるようです。 「こめや」の前なので、米相場の下がるのを嫌ったためという説がいつのころからか広まっています。また橋の向こうの人家の急勾配の屋根も、よりゆるやかな傾斜に描き変えられています。 この人物も、馬から飛び下りる大胆な動作よりも、より自然な仕草(しぐさ)に直したものと解したほうが無難なように思われます。