2021(令和3)年11月28日(日) 朝7:00 8日目のスタートである。
昨日歩いた距離は、20kmに満たず、やや少なかったので、今日は、その分稼ごうと思って、7:00前にはホテルを出た。
途中、鞠子宿の「とろろ汁」を昼食で食べることは、決めているので、やはり鞠子の次の岡部宿まで到達することが目標だ。
しばらく歩くと、橋の石柱に可愛らしい河童の像Aがあった。家康の時代この橋を架けたとき、渡り初めの儀式の最中に1人の男の子が現れて橋を渡ったという。その子は川に住む河童であったとの伝説もあり、この出来事から、この橋を「稚児橋」と名付けられたと伝えられている。
さらに40分ほど歩くと一里塚跡Bがあった。江戸から43番目の草薙の一里塚である。日本橋から約170kmである。まだまだ、京・三条大橋までの半分にも達していない。でも、コロナが一段落して、このように歩けることに感謝あるのみ。
一里塚跡を過ぎて30分ほど歩くと、立派な老人の石像Cが見えた。
脇にある説明文を読むと、近くの曹洞宗・東光寺が山門までの入り口に設けている「達磨大師」の像であるという。達磨さんは、座像がほとんどで、このような立像は大変珍しいのでと思う。
さらに20分ほど歩くと、JR東海道線の何本もの線路が見えてくるとともに、「旧東海道記念碑」Dが見えてきた。
JR線により分断された、このあたり「栗原」地区のことを後世に伝える為に建てられたものという。昨日通った「清見寺」でも感じたが、明治になって鉄道を通すために、旧道のいろいろな部分や色々な施設が分断されたことが種々あったのだろうと思われた。
地下道を歩いて鉄道の北側に渡り、数分歩くと、この地域の地名「古庄」と前後の宿場を表した標識Eが見えた。さらに歩いて「静鉄」の「長沼」駅近くFで後ろを振り返ると、富士山が綺麗に見えている。
葵区柚木の1号線をまたぐ歩道橋の上Gからは、電線などの遮るモノもなく、実に素晴らしい富士が見えてきた。
幼少の頃、今川氏の人質として、この地で過ごした徳川家康が、晩年この地での生活を望んだことも分かるような気がする。