大磯


 平塚宿と大磯宿の間はわずか3`ほど。「平塚」に描かれた高麗山を右手に見つつ歩みを進めると、すぐに大磯宿に着きます。 広重が描くのは、大磯宿の東の入り口で、ここにも宿場の境界を示す榜示杭(ぼうじくい)が描かれています。 大磯といえば海水浴などのレジャー・スポットとして有名ですが、かつての宿場町の入り口付近には豊かな松並木があり、今でもこの絵の面影がどこかに残っています。

 副題にある「虎ヶ雨」とは、旧暦5月28日に降る雨のことです。この日は、『曾我物語』で知られる曾我十郎の命日です。 建久4(1193)年のこの日、十郎は弟の五郎とともに、頼朝が富士の裾野で催した狩りの宿所に忍び入り、父親の仇である工藤祐経を討った後、 斬られてしまいます(五郎は翌日処刑されました)。十郎の恋人虎御前は大磯の遊女で、彼の死を聞き悲嘆に暮れました。 ですから、大磯でこの日に降る雨は、虎御前が十郎の死を悲しんで流す涙雨だといわれたのです。

 江戸時代、『曾我物語』は歌舞伎や草双紙などに取り入れられ、広く親しまれていました。 人々は大磯といえば、容易にこの虎御前のことを思い浮かべたに違いありません。 広重の五十三次には雨を主題にした絵がほかに「庄野」と「土山」の二図ありますが、すべて降りかたが異なります。 「大磯」で描いた旧暦5月28日の雨といえば、新暦では梅雨にあたるでしょう。梅雨時は降ったり止んだりのはっきりしない空模様ですが、 この図の雨はまばらな線で、ばらばらと降る感じがうまく描き出され、しかも明るい緑色などをいっさい用いず、 灰色と茶色のみで摺(す)り出した宿場町やその周囲の風景に、この季節特有の風情がよく醸し出されています。

 空の表現に目をやれば、一文字(いちもんじ)こそ雨空を示す黒となっていますが、それ以外は淡い黄色で摺ることで薄い雨雲の向こうに太陽があることを感じさせ、 その薄日と海面の白い照り映えが呼応しています。 わずかな色数でもって、季節の表情を繊細に描き出した、カラリスト広重らしい一枚といえるでしょう。