2021(令和3)年12月28日(火)有給休暇2日目 朝07:00前に島田駅前のホテル(hotel123島田?)の朝食を食べて、島田駅に向かった。 昨日の夕方、ホテルへ向かうときには、あまり気にならなかったが、島田駅の改札前には、大きなステンドグラス風のガラスに書かれた風景画があった。 このあたりが茶どころであることをアピールしている絵である。朝の陽ざしの中でなかなか楽しい絵になっている。

  8:20 JR線で、金谷駅に着き、東海道歩き旅10日目のスタートである。駅のホームの直ぐ裏側の道@を上っていき、金谷坂方面に向かう。少し上った所で、後ろを振り返ると、遠くに富士山が見えていたA。なるほど昔の京方からの旅人も、晴れた日この坂を下りながら遠くの富士を観て感激したことだろう。 まもなく、小さな公園があり、案内板Bが設けられていた。そのあと進むと、地域の人たちにより、何百年と守られてきた石畳の道Cである。下り坂になった所Dもきっちり石が敷き詰められていた。歩いて行くと、周りはほとんどお茶畑だ。 金谷坂を上って、この辺りは大雑把に言って「牧之原台地」なのである。僕らの世代では、牧之原台地=茶畑と、小学生の頃から習ったが、確かに茶畑だらけだ。

  そうこうしているうちに、いわゆる「小夜の中山」に入ってきたらしい。誰かの歌碑Eが見えてきた。暗い石碑の字を見ると、阿仏尼と彫られている。十六夜日記の作者として、高校時代必ずしも得意でなかった古文の授業で覚えた記憶がある。 その他この辺りには多くのいにしえの文化人の歌碑・句碑Fがある。でも小夜の中山で最も有名なものは、歌碑・句碑ではなく夜泣き石Kである。広重の五十三次の浮世絵「日坂」にも描かれている。でも、当の石は、現在1号線の中山トンネル脇に祀られていて、旧東海道沿いにはない。代わりに「夜泣石跡」の石碑Kがあるだけである。 さらに歩くと日坂宿に入ってきた。やはり、ここにも秋葉神社の常夜灯Lがある。さらに街道を進んでいくと、中の展示はしていないが、「旧日坂宿の旅籠」という表示の古い建物がいくつかあった。写真Mは「川坂屋」という旅籠の古い建物である。どうやらこの建物辺りで日坂宿の終わりになったらしい。

  少し進むと歩道橋に「事任(ことのまま)八幡宮」Nとの表示が見える。八幡宮だから、源氏により創建された神社と思いきや、調べてみると、創建は古く、成務天皇(日本武尊の弟)の御代(4世紀前半)に創建との記録もあり、かの枕草子にこの神社の記述もあるようだ。 八幡神が勧請されたのは、枕草子の記述から60年ぐらい後の前九年の役の頃である。40分ほど歩くと11:40ぐらいになった。どこかで昼食休憩をと思っていたので、ちょうど現れた諏訪神社Oは都合が良かった。

  神社の境内で朝買ったコンビニのおにぎりとお茶で休憩し、そのあと1時間ほど歩いて行くと、どうやら掛川の市街地らしい所まできた。この辺りでは、街路樹に「くろがねもち」Pを植えている。 いままで、街路樹でこの樹種を植えている場所は見たことがない。「くろがねもち」は、鹿児島の実家の庭にも植えられていて、冬場のこの小さい赤い実は、とても懐かしい気がする。

  いよいよ掛川市内Qに入ってきた。今日は、あと10km足らずの袋井まで行ければいいので、せっかくだから、掛川城Rを見学することにした。城に行ってみると、こじんまりした城だが、木造で再建された、とても素敵な城だった。 特に、城内で多用されていた、竹を使った照明はとても気に入った。鹿児島の実家には、広い竹林もあるので、この照明は、ぜひ自分でも作ってみたいと思う。

  掛川城を出たのが14:00頃、あと10km足らずと思っていたが、冬の陽差しは、どんどん傾いてきた。おまけに西風が非常に強い。江戸時代の木造建築しかない中で、この強い西風で宿場の1件でも火の不始末を起こしたら、とんでもないことになる。 下手すると宿場が全滅だ。静岡県内各地で、火除けの神様・秋葉神社が崇敬され、常夜灯があちこちに設けられている理由も、今日の西風で得心がいく。

  やや急ぎ足で進んでいくと、松並木S(21)が見えてきた。この辺りは割合に旧街道の松並木が残っている所で、昔が偲ばれてなかなか良かった。更に進んでいくと、「花茣蓙」との看板(案内板)(22)があった。昔は、この辺りは藺草の生産が盛んだったのか? そんなことを思いながら、進んでいくと、 小学校の校門に「東海道五十三次 どまん中 東小学校」(23)とあるのには、驚いた。「ど真ん中」とは何?と、思っていたが、段々分かってきた。ここ袋井は、日本橋から数えても、京・三条大橋から数えても27番目で東海道に53ある宿場のど真ん中ということらしい。調べてみると、距離的には、次の見附宿(現磐田市)と浜松宿の間が中間地点らしい。いずれにしても、どうやら小生の歩き旅も中間地点に来たということだ。

  後は電車で帰るだけと、急ぎ足で袋井駅に向かうと、駅の北口ロータリーで、思いがけず正岡子規の記念碑(24)に出会った。ほぼ17:00で、しかも冬至間もない季節なので、辺りはすっかり暗くなってきた。 ゆっくり碑文を読む余裕はなく、後で電車の中で読もうと写真だけ撮って、歩き旅10日目の終了である。