箱根
有名な「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」は明治の作詩ですが、箱根越えが東海道でも有数の難所であったことは、江戸時代のさまざまな紀行文学にも書き留められています。
広重はこの箱根の山の険しさを表現したかったのでしょう、画面中央に天に向かって突き上げるような放物線状の峰を配し、向かって右の背後にも急傾斜の峰々が連なっています。
この中央の山の裾を大名行列が下っていますが、芦ノ湖の湖水に向かっての下り坂である権現(ごんげん)坂あたりがイメージされているのでしょうか。
調べの厳しいことで知られた箱根の関所はこの坂を下り、湖岸に沿ってしばらく行った先にありました。
峰の左奥に見える水面がその芦ノ湖です。岸辺には箱根権現(現・箱根神社)の屋根が見え幾重にも連なる山並みの向こうには、雪を被(かぶ)った富士山がうっすらと見えています。
湖水の向こうに富士山を望むこうした視点は、北斎の『富嶽三十六景 相州箱根湖水』と共通しており、また、画面中央の放物線状の山とその裾を通る坂道のイメージは、
寛政12 (1800)年刊の鍬形寫ヨの絵手本『山水略画式』にも似通うところがあり、広重がそうした先行作品からヒントを得た可能性も考えられます。
この図はこのシリーズ55図中の傑作のひとつとされていますが、魅力となっているのは、大胆に誇張された山の形状と、「小田原」と同様の色面の組み合わせによる岩肌の表現です。
「小田原」よりもこちらのほうが、ひとつひとつの色面が小さく、しかも多彩で、まるでモザイク模様を見ているようなはなやかさです。
同じような色面の組み合せによる彩色手法は、遠景の山並みにも用いられていますが、手前の岩山が装飾的であるのに対して、遠山のほうは、手前から茶、青、淡灰色となっており、
色彩で遠近を表現しています。その向こうに富士山を霞(かす)ませているように、空気遠近法の原理にもとづき、深遠な空間を見事に描き出しているのです。