昨夜は、夕食で浜名湖のうなぎも食べて、充実したいい日であった。今朝は、ホテルの旨い朝食を食べて、7:10に出立となった。2022(令和4)年5月5日 歩き旅12日目のスタート@である。

  1時間近く浜松市内を歩いてきたが、市街地を抜けて、やや郊外かなといったところに「八丁繩手」Aという表示があった。畷/繩手とは、1.田の間の道。あぜ道。なわて道。2.まっすぐな長い道。などの意味があり、ここでは、この場所から浜松駅方向へ延びる真っすぐな松並木が見事であったことから、 いつしかこのように名付けられたと伝わっている。そこから西へ30分、約2kmを歩くと、諏訪神社Bがあった。諏訪湖を水源とする天竜川が東の磐田市との間を流れているのだから、当然、この辺りにも分社があるのは理解できる。

  さらに10分ほど歩くと、領地境界の標柱Cという立札があった。読むと、江戸時代宝永年間に浜松藩から離脱して堀江領となった高塚地区と浜松藩との境界を示す杭とのことである。更に1時間あまり進んだところに稲荷神社Dがあった。 舞坂駅の南というところに来たが、この辺りには、まだまだ立派な松並木Eが残っているようだ。更に少し進むと、「舞坂 今切真景」Fと書かれた石碑があった。浜名湖が淡水湖から汽水湖になった経緯が書かれていた。

  更に進むと、舞坂宿脇本陣との表示の建物Gがある。ようやく旧舞坂宿らしい建物に出会った。さらに進むと、「北雁木」Hと名付けられた。木造の灯篭らしき建物が。舞坂から荒井(新居)までの一里半の船旅の船着き場跡とのことである。 今は、舟の旅は出来ないので、昔島であった弁天島の方へ歩いて行くと、弁天島の名の由来の「辨天神社」Iがあった。もとは湖であった所を3kmあまり、約1時間歩いて新居町駅である。 今日の旅では、最初から湖西市にある「豊田佐吉記念館」に立ち寄る予定だったので、新居町駅から東海道線でひと駅西の鷲津駅まで行き、もういい時間なので、駅前の店で昼食を食べた。

 記念館までは2km程度で歩いて行けないこともないと思ったが、初めて行くところでもあり、タクシーを使った。 驚いたことに記念館Kは入場無料である。しかも係りの人の話では、トヨタグループの会社に入社した新入社員は、新入社員研修の一環として、全員ここで研修を受けるとのこと。トヨタグループのルーツ・佐吉翁の「障子を開けてみよ 外は広いぞ」というトヨタイズムをしっかり叩き込もうという、トヨタグループの社員教育の一端を見ることができた。

 帰りは歩こうかと思っていたが、タクシーでワンメーター程度。まだまだ歩く旅は続くので、鷲津駅までタクシーで戻ったが、途中の交差点に表示された地名「古見」Lを見て、おや!と思った。 忘れもしない、昔沖縄の西表島を訪ねた時、同じ「古見」という地名があり、しかもガイドさんの話では、米(コメ)という読み(訓)の元となったという説があるとの話であった。もしかしたら、ここの古見地域を発掘調査したら、登呂遺跡より古い稲作の跡が現れるかもしれない。 そんなことを思っているうちに、直ぐ鷲津駅に着いて新居町駅に戻り、歩き旅の再開だ。

 新居町駅から直ぐ400mも歩いたら、旧新居(荒井)宿の遺跡Jが見えてきた。関所跡である。新居宿から遠州灘方面に歩いてゆくと、狭いながら水田地帯が広がっていき、西へ折れると長い松並木Mが続く。 途中には、藤原定家の息子・藤原為家と彼の後妻・阿仏尼夫妻の歌碑もあった。さらに50分ほど進んで、有名な潮見坂Nである。振り返ってみると、確かに遠州灘が見えて、都から東国に下向する旅人には、初めて見る外洋で、それなりの感動があったことだろうと思われる。 少し進むと、「白須賀宿マップ」Oというのがあった。マップを見ても特にこれという遺跡はないようだ。5分ほど進むと、小さな公園で、今まで各地で見られた「明治天皇聖蹟」Pである。揮毫者は、明治の元勲・木戸孝允の妹の孫・木戸幸一とあるので、 内大臣を務めていた昭和15年から20年の間、の戦意高揚を兼ねて、開戦の昭和16年ころに建てられたものではないかと思われる。

 残念ながら、今では「白須賀」宿の、遺跡はあまり見られなく、通り過ぎて行ったが、ようやく「曲尺手」と書かれた標札Qがあった。こちらの言葉では、曲尺手を「かねんて」と言うらしい。もうだいぶ西日も傾いてきた17:00過ぎに、売りモノに「こおろぎ」とか「爬虫類」Rとかの表示がある建物が現れた。 これは、今まで見たことがない看板だ!ネットで調べてみると、ここ豊橋には(そう、もう愛知県だ!)、昆虫や爬虫類を養殖・販売する業者がいくつかあるらしい。

  そこから約1時間、もうそろそろ「二川宿」かというところに、八幡神社Sがあった。由緒書きを読むと、この神社は、鎌倉幕府成立後鶴ケ岡八幡宮から勧請されて1195(永仁3)年に創建されたものという。

  まだ明るいが、既に18:00を過ぎている。今日は所沢まで帰らねばならない。駅へ急ごうとやや速足で歩いて行くとも間もなく二川宿の案内板(21)があった。ネットで調べてみると、割合に旧宿場の施設が現存していて、無料公開の施設もあるとのことだが、残念ながら先を急ごう。 18:30頃JR東海道線の二川駅に着き、12日目歩き旅の終了である。ここから1駅西の豊橋に行き、豊橋から新幹線に乗り帰宅となった。