14 原 (朝之富士)
原の宿は現在の沼津市原。このあたりは、東海道でもとりわけ富士山が大きく見える場所として知られていた。
このため広重も雪を被(かぶ)った冬の富士を画面の半ばを占めるように描いている。
裾野を隠すように横たわる、ごつごつした稜線(りょうせん)を持つ山は愛(あし)鷹(たか)山だ。
その裾野に一面の葦(あし)原が広がり、のんびりと鶴が羽を休めている。開発の進んだ今日では想像がつきにくいが、
かつてこのあたりは浮島沼(富士沼)という広大な沼地が広がっていた。
広重は富士の高さを強調するため、山頂を画面の枠からはみ出させている。ただ、画面の枠から出すことで、
この絵を見ている鑑賞者に、自分と画中の富士とが同じ空間に存在する感覚を抱かせ、雄大さを演出するよりも、むしろまるで芝居の書き割りを見ているかのような錯覚を覚えさせている。
そんな見えかたも影響しているのだろうか、画面の手前、両掛けの荷物を担う供を伴った二人連れの女の旅人を母と娘と見て、
『仮名手本(かなでほん)忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』八段目、許婚(いいなづけ)大星力弥の住む京都山科へと向かう加古川本蔵の娘小浪と、
その母戸無瀬とする解釈も、いつのころからかなされている。
先頭を歩む母らしき女は笠(かさ)に手を掛けて振り返っているが、その視線の先に富士山が無いのはどうしてか。
この図の副題は「朝之富士」で、よく見ると宝永山のある東側の山腹がうっすらと赤く染まっている。彼女は昇る朝日を見ているのではないか、つまり、
山肌の色と画中人物のポーズで、画面に描かれていない朝日の存在を示唆しているとも考えられるのだ。
なお、供の者の法被(はっぴ)を見ると、カタカナで「ヒロ」と読める文字がデザイン化されている。これは広重が自身の画号の一部を用いた印章をあしらったもので、
ちょっとした絵師の遊び心の表れだ。広重は同種の遊びを、これからあとの図でもしばしばおこなっている。