15 吉原 (左富士)
江戸時代の初期まで、吉原宿(元吉原)は田子の浦に面していたが、津波の被害を避けるため、中吉原を経て、
天和2(1682)年に内陸寄りの新吉原へと移転した。かつての元吉原は現在のJR東海道本線吉原駅近く、
新吉原はそこより北西の岳南鉄道吉原本町(ほんちょう)駅の付近にあたる。
元吉原を出てまもなく、東海道は海から離れて北へと向きを変えるとともに、蛇行をはじめる。東海道を西に向かう旅人にとって、
道が右に大きく振れた際に、それまでずっと進行方向右手に見えていた富士山が、左手に見えることとなった。
これが「左富士」として有名な東海道の奇観のひとつだ。
この場所は、前述のJR東海道本線吉原駅と岳南鉄道吉原本町駅のほぼ中間にあたる。周辺には視線を遮る高い建物もあまり無いので、
天候に恵まれれば左富士の景観を拝むことは可能。わずかに残る松のそばに、それを示す案内板も立てられている。
広重は松並木の植えられた東海道を実際以上に大きくジグザグに折れ曲がらせながら、鑑賞者の視線を画面奥の地平線へと誘導しており、
これはすでに「平塚」でも見られた手法だ。視線のたどり着く先にシルエットのように浮かんだ富士山を配置しているが、「原」に比べるとずいぶん小さな見えかただ。
吉原も富士が大きく見えるところのはずだが、あえて小さく描いたのは、空間の奥行きを強調するためなのだろう。
一番手前の二本の松など、梢(こずえ)が画面に収まりきっていないが、近景と遠景の大小の対比で遠近感を高めているのだ。
まるで松並木がフレームのような効果を果たし、三人の子供が一頭の馬に乗った面白い姿に目が留まる。
これは、三面六臂(さんめんろっぴ)(頭が三つで腕が六本)の仏像のさんぼうこう形にたとえて、俗に「三宝(さんぼう)荒神(こうじん)」と呼ばれた乗りかただ。
真ん中に乗った子供の顔が遠景の富士山に向けられており、これもまた鑑賞者の目を遠景に誘うのに一役買っている。