20 府中 (安倍川)



 府中は駿府(すんぷ)城の城下町でかつての宿場町は現在のJR静岡駅の付近にあたる。府中宿は安倍川餅と幕府公認の遊郭・二丁町で知られていた。広重も後年の東海道の揃物では、安倍川餅を売る茶店や、遊客で賑わう二丁町の光景などを描いているが、保永堂版では宿場の西はずれの安倍川の風景をとらえている。

 安倍川も酒匂川や大井川などと同様に徒行(かち)渡しで、旅人は川越人足の担う輦台(れんだい)や、彼らの肩車によって川を渡った。旧国道1号線が通る安倍川橋付近が、かつて川渡しがおこなわれた場所とされている。 保永堂版で川越しの風俗を描く図は複数あるが、この図がもっとも近い視点でとらえられているだけに、風俗の描写も精細です。

 画面手前に輦台や肩車で渡される女たちの一行が描かれている。このように、屈強な人足たちに担がれて川を渡る美女の姿は、多くの浮世絵師が描く人気の画題だった。最後尾の笠をかぶった男の半纏には、丸に「竹」の字が染め抜かれているすが、これは版元保永堂こと竹内孫八の「竹」をあしらったものだ。

 対岸からは馬の背に荷を載せた男たちが渡ってくる。さらに向こうには、状箱(じょうばこ)を濡らさないように頭上に高く捧げ持った飛脚や、客の荷物を頭に載せた人足が描かれ、荷物の主と思われる裸の旅人が、人足に導かれながら徒歩で川を渡っているなど、画面全体から人々の息づかいが聞こえてくるかのようだ。

 川の向こうに大きく描かれた山を、賎機(しずはた)山(標高171b)と見る解説もしばしば見られる。『東海道名所図会』にも項目が立てられ、古歌にも詠まれた山なので、可能性としては否定できないが、安倍川との位置関係からすると、やや無理がある。安倍川橋の上から川の西岸を望むと、この絵の山とほぼ同じ位置に、やや似た稜線を持つ山も見えるが、広重が実景にもとづいて描いたかどうかについては疑問も多いので、結論は下せない。