21 鞠子 (名物茶屋)
広重が保永堂版を生み出した背景のひとつに、十返舎一九の滑稽(こっけい)本『東海道中膝栗毛』のヒットを挙げる人もいる。弥次郎兵衛と喜多八のコンビがさまざまな失敗を繰り返しながら東海道を西へ上るこの大衆小説は、享和2(1802)年の初編刊行以来、ロングセラーを続けた。
広重は『道中膝栗毛』や『膝栗毛道中雀』などのように、明らかに『東海道中膝栗毛』に題材を得た戯画の揃物を手がけているので、彼もまたこのベストセラー小説の愛読者であったことは確かと思われる。
保永堂版でも、場面の設定において『東海道中膝栗毛』に取材したものがあることは、以前から指摘されている。
そのひとつが、「名物茶店」の副題を持つこの「鞠子」だ。「うめ若菜丸子の宿のとろろ汁」と芭蕉が詠んだように、この宿の名物はとろろ汁だった(もっとも、現在も同じ場所で営業が続けられている)。享和元(1801)年に公務出張の途中、ここに休んだ大田南畝(おおた なんぼ)も食しており、『改元紀行』の中に、「麦の飯に青海苔とろゝかけて来れり」と書き留めている。
この図では、「名ぶつとろゝ汁」や「御茶漬」「酒さかな」などの看板を出す藁葺きの店で、二人の旅人がとろろ汁らしきものを食べており、茶店のおかみとおぼしき女が給仕をしています。この光景は、『東海道中膝栗毛』において、主人公の弥次郎兵衛と喜多八が鞠子の茶店でとろろ汁を注文したところ、茶店の女房が背中に乳飲み子を背負って出てくるという一節にヒントを得たものと考えられている。
茶店の右には枝振りからみて梅とおぼしき木が描かれているが、芭蕉の旬を踏まえたものだろう。もう花は終わった様子だが、屋根の上には烏が休み、どこかしらのどかな雰囲気が漂っている。
なお、この図の表題は、はじめは「丸子」だったが、後に版木が「鞠子」に修正されている。当時刊行されていた道中案内の類(たぐい)では「鞠子」の表記が多かったので、それに合わせた改変なのだろう。