22 岡部 (宇津之山)



 鞠子宿と岡部宿の間はおよそ2里。道は山道となり、東海道の難所のひとつといわれたところだ。両宿の間には宇津ノ谷峠があり、その一帯は宇津の山と呼ばれていた。

 ここは、『伊勢物語』の「東下り」の段にある「行き行きて、駿河の国にいたりぬ。字津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦(つた)、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり」という一節で知られる、 蔦の細道があったところだ。江戸時代の東海道と、平安時代の蔦の細道とはルートが異なっていたが、今よりもはるかに多くの人々に『伊勢物語』が読まれていた江戸時代のこと、この峠を越える旅人の多くは、業平(なりひら)の昔に思いを馳(は)せ、蔦の細道はどこかと、土地の者に尋ねたことだろう。

 副題にあるように、広重も宇津の山を描いている。谷川に沿った道が多いこのあたりの街道の雰囲気をよくつかんでいるように見えるが、むしろ、江戸時代に刊行された多くの絵入り『伊勢物語』の挿絵に共通する蔦の細道のイメージにもとづいているようだ。従者を伴い山道を登る公家と、 笈(おい)を背負って下る旅の僧という蔦の細道の挿絵に描かれるお決まりの人物と、保永堂版に描かれる旅人や、柴(しば)や薪(まき)を背負った地元の人々の姿とでは大きな違いがあるが、曲がりくねる山道をほぼ正面からとらえた構図は、『伊勢物語』の挿絵を意識したものと思われる。

 また、原典の「東下り」の段では季節は夏となっているが、蔦は秋になると赤く色づくというイメージが強いからか、絵画作品では秋の景として描かれるものがほとんど。保永堂版でも、渓流の脇に生えた楓(かえで)が紅葉しているのは、そうした絵画的な図像伝統と関係しているのだと考えられる。

 なお、蔦の細道、江戸時代の旧東海道のいずれも、今でも通れるように保存されていて、いずれも昼なお暗く細いところは、当時の面影をよく残している。