24 嶋田(大井川駿岸)
島田宿と金谷宿の間には、駿河と遠江(とおとうみ)の国境(くにざかい)でもあった大井川が横たわる。この川も橋が架けられず、川越(かわごし)人足(にんそく)による徒行(かち)渡しだった。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄にもうたわれたように、ひとたび雨が降って増水すれば何日も川留めをされるということで、この川を無事に越せるかどうかは、旅人たちの大きな関心事だった。
そのことと、徒行渡し風俗の面白さからか、広重に限らず、東海道の島田宿を描く錦絵のほとんどは、大井川の川越しの光景を描いている。
保永堂版もその例外ではないのだが、絵師の視点は地上よりずっと高いところから、島田宿のある駿河側の岸(副題にある「駿岸」)を見下ろしているため、今これから川を越えようとする大名行列は、まるで蟻(あり)の行列のように小さく描かれている。
徒行渡しの風俗そのものは、すでに「府中」で大きく扱っているということもあって人物の扱いを小さくしたのかもしれないが、最大の理由はここでも『東海道名所図会』の挿絵を参考にしたことにある。
同書巻之四には、「大井川」「大井川続き図」と題して、大井川を挟むような形で連続する見開きの挿絵が載っており、金谷側の岸から大名行列が島田側へ渡る様子が、高い視点から描かれている。広重はこの図会の挿絵の趣向をヒントに、この「嶋田」で渡り始める行列を描き、次の「金谷」では岸に上がる様子を描いているのだ。
微細な人物描写ながら、それぞれの風俗も図会の挿絵にもとづいて、しっかりと描き分けられている。
先頭の者たちが肩車や簡易な平(ひら)輦台(れんだい)で渡る間、鉄砲や長鑓(やり)を持つ武士たち、あるいは行列の主(あるじ)のものとおぼしき乗物(高級な駕籠(かご))はまだ手前の岸にあり、荷物の上に腰掛けて休む武士たちも見られる。ただ、彼らの後方で、行列が渡り終えるのを静かに待つ町人らしき人々は、現実感を出すために広重のアイデアで描き加えたものだろう。