27 掛川 (秋葉山遠望)



 掛川城の城下町でもあった掛川宿の西外れからは、秋葉山の山頂近くにある秋葉大権現(ごんげん)(現・秋葉山本宮秋葉神社)へ続く秋葉道の分かれ道が延びていた。 ここから多くの参詣者が秋葉山へと向かった当時の旅事情を反映してか、広重の各種東海道物の「掛川」では、秋葉大権現への参詣道の分岐点と、そこに建つ秋葉大権現の鳥居や常夜灯を描くことが多かった。

 保永堂版でも鳥居などは直接には描かれていないものの、副題に「秋葉山遠望」とあるように、秋葉大権現への参詣道が示唆されている。宿場の西を流れる倉真(くらみ)川に架かる大池(おいけ)橋のたもとから北西の方角を見た視点で、 画面手前に描かれた2基の常夜灯が秋葉道を示しているのだろう。この橋を渡りきったすぐのところから秋葉山への道が延びていたのだ。

 橋の上では旅の僧と行き合った老夫婦が、深々と腰を折ってお辞儀をしているが、信心深そうなこの二人も秋葉山へ詣でるところなのだろうか。

 遠景に聳(そび)える秋葉山は、峨々(がが)たる岩山に描かれているが、実際の秋葉山はここから9里半も北にあったので、このように大きくは見えないし、稜線(りょうせん)ももっとゆるやかだ。 これまでの図でもよく見られたように、画面を引き締めるために誇張した表現なのだろう。構図の面で見ると山は右上から左下への対角線上に配置され、橋がつくる左上から右下への線と交差させている。

 そうした安定した構図に動きをもたらしているのが、画面の枠をはみ出すほど空に高く舞い上がった凧(たこ)だ。 遠くには糸が切れて飛ぶ凧もあり、上空はかなり風が強いのだろう。

 本図の魅力のひとつでもある透明感のある青々とした水田には、田植えをする人々の姿がある。凧揚げとは季節が合わないと思われるかもしれないが、この地方の有名な遠州凧は、毎年、端午の節句のころにおこなわれるもの。 このことは江戸の人々にもよく知られていたようで、北斎の東海道物にも描かれている。