29 見附 (天竜川図)



 信濃の諏訪湖を水源とする天竜川は、遠江のほほ真ん中を北から南に貫流して遠州灘に注ぐ東海有数の大河だ。見附宿は現在の磐田市中心部にあった宿場で古代には遠江国府がおかれた地で、 宿場を出て浜松宿までは4里7町という長い道のりで、旅人はその中ほどで、古来「暴れ天竜」と呼ばれてきたこの急流を舟で渡らなければならなかった。ひとつ手前の袋井宿は宿駅順では東海道の真ん中だったが、天竜川西岸に位置した中の町は、距離の上で江戸と京都の真ん中とされていた。 このあたりまで来た旅人は、もうだいぶ先も見えてきた気持ちになったことだろう。

 天竜川の川幅は東海道のあたりでおよそ10町(1町は約109b)ほど。川には中洲があって大天竜、小天竜といわれる流れに分かれ、この二つの瀬を舟で渡ることを「二瀬越え」と呼んでいた。 『東海道名所図会(ずえ)』には「一ノ瀬二ノ瀬となる。船渡し也」とあり、道中案内の類(たぐい)にはこの大天竜と小天竜のことを書き記したものもある。また、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』でも、挿絵入りで取り上げられているように、世間に広く知られていたため、広重が描く東海道の揃物では、この渡し場の光景を描いたものが少なくない。

 保永堂版も、この二瀬越えの様子を描いている。画面手前に舟を停めて客を待つ二人の船頭が描かれているが、立って煙管(きせる)をくわえているのは、隣の舟の船頭が客待ちの合間に世間話でもしにきたのだろう。中洲をはさんだ向こう側の瀬には、客を乗せて漕ぎ出す舟と岸に着く舟、 あるいは舟を待つ武士の一団など、大勢の人々が描かれている。こうした向こう岸のにぎわしさと対照的に、手前の二人の船頭ののんぴりとした様子が印象的だ。

 横たわる川の流れに中洲や船頭、旅人らを描き加えた単純な構図だが、近景の船頭や舟と、画面奥の人物や舟との大きさを変えることで豊かな奥行きを生み出すのは、「袋井」と同じ手法といえる。濃淡を変えた遠景の森のぼかし摺(す)りも、奥行き感を高めるのに一役買っているとともに、靄(もや)に包まれた水辺の風情をよく醸し出している。