32 荒井 (渡舟ノ図)
現在では新居と表記するが、道中案内や『東海道名所図会』、北斎・広重らの東海道物など、江戸時代には「荒井」の表記のほうが数多く見いだせる。
新居宿には関所が置かれており、厳しい取り調べがおこなわれていた。保永堂版でも、対岸に関所の柵と面番所が描かれている。安政2 (1855)年に建てられた面番所は、全国でも唯一現存する関所の遺構として国の特別史跡に指定され、 一般に公開されている。
湖水の上では、大名行列を乗せた船が今切(いまぎれ)の渡しを新居に向けて進んでいるところだ。
先を進む大きな船は、幔幕(まんまく)を張り巡らせ、毛鎗(やり)や吹き流し、台傘、長柄(ながえ)傘などを立てて威儀を正した様子から、藩主が乗る御座(ござ)船だとみなされる。この幔幕に染められた家紋は、例によって丸に笹をあしらった紋になっている。
これに続く小舟の上に立つ旗には、よく見ると丸に「竹」と読めそうな紋が染め抜かれている。もちろん、竹は版元保永堂の竹内を示すものです。御座船の笹の紋と合わせて考えると、どうも保永堂の楽屋落ち的な遊びが隠されたものと解される。
この小舟は船頭らが力を込めて操っているが、乗客である中間(ちゅうげん)たちは、舟の上ではなすべき仕事もない。上役の監視の目も届かないためか、居眠りをしたり、大きくのびをしたりと、皆すっかりくつろいだ様子だ。
構図の上から見ると、中間らの乗る小舟、御座船、対岸の陸地が画面の対角線上に配置されて、舟の向きが鑑賞者の視線を画面の奥へと引き込んでいる。
配色に目を向けると、小舟や御座船を明るい色彩を用いた多色摺りで表現する一方、対岸の関所や宿場町、その背後の山などを濃淡の墨だけで摺り出していることに気づく。これは、明るい色を近くに、暗い色を遠くに感じる人間の心理を利用した、色彩遠近法と呼ばれる手法を用いたものだ。
広重は構図や配色など、さまざまな手法を駆使して、奥行き豊かな画面空間をつくりあげているのである。