33 白須賀 (汐見坂図)



 荒井の宿を出てしばらくは海を左に望みつつ平坦な道が続くが、1里ほどで街道は右に折れるとともに上り坂になる。この坂が保永堂版の副題にもなった潮見坂だ。

 この坂から望む遠州灘は、東海道でも有数の絶景として知られていた。『東海道名所図会』ではわざわざ一項目を立てて、「眼下に滄海を見れば汐見阪の名あり。所謂(いわゆる)遠州七十五里の大灘眸(まなじり)を遮(さえぎ)り、 弱水三万里の俤(おもかげ)あり」とあり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも、わざわざ挿絵入りでその景観を称えている。

 現在では坂の一帯には樹木が生い茂り、坂の途中からはスケールの大きい眺望を得ることはやや難しいが、坂を登り切り白須賀中学校の前あたりに立てば、視野いっぱいに大海原を見渡すことができる。

 広重はこの眺めを強調するかのように、四角い画面の中に、坂道と両側の松の樹をつかって、楕円形の枠をつくりだしている。額縁効果という絵画技法のひとつで、この枠の中に長々と画面を横切る水平線を描き込んで、 「遠州七十五里」と称されたスケールの大きい眺めを表現している。松の樹や手前の坂を暗い墨で摺ることで、明るい海に鑑賞者の目が向かいやすくなっていることにもお気づきか。

 浜辺は人家や干した漁網が点在するのどかな漁村風景で、海面に数多くの漁舟が浮かんでいるのは、『東海道名所図会』にある「沖にこぎつれる漁舟は雲の浪にみえかくれ」の記述を踏まえたものだろう。

 画面手前の坂を大名行列が下っている。進む方向からして、参勤交代で江戸に向かうところなのだろう。保永堂版でここまで描かれてきた大名行列は、いずれも西に向かっていたが、「白須賀」ではじめて江戸に向かう行列が出てきたことになる。 挟箱(はさみばこ)(棒で支えて背中に背負った四角い箱)に掛けられた赤い布には、立方体を斜め上から見たような図案が染め抜かれているが、これは、「ヒ」と「ロ」を組み合わせてつくった広重の紋章になっている。