37 赤坂 (旅舎招婦ノ図)



 旧東海道を実際に歩いてみると驚くのだが、御油の家並みを抜け、長い松並木に昔の東海道の面影をしのんでいるのもほんのつかの間、気づいたら赤坂の家並みに到達してしまう。 御油と赤坂の両宿の間は東海道の宿駅間の距離としては最短のわずか16町(約1.7キロ)。これは問屋(といや)場(ば)の間の距離なので、棒(ぼう)鼻(はな)(宿場町の入り口)間の距離はもっと短いものだ。

 目と鼻の先といっても良い距離に、似た規模の宿場が位置していたので、客の争奪戦はたいへん熾烈(しれつ)だったといわれている。両宿ともに飯盛女を数多く抱えていたのは、集客力を高めるためだった。 「御抽」で描かれたような留女の激しさは、宿場が置かれたこうした状況を反映したものでもあった。

 この図は当時の旅籠の内部のつくりをうかがわせるものとして、歴史の本などによくつかわれているが、構図そのものは『東海道名所図会』巻之二の挿絵「関ニ泊テ招嫖(おじゃれ)ヲ買フ」をヒントにしたものだ。 同書の挿絵は関宿の旅籠の玄関を描いており、庭には蘇鉄(そてつ)ではなく松が植わっているなどの違いがある。しかし、廊下の角で隣接する二部屋をとらえた旅籠の構造や、部屋で寝転んでくつろぐ客の姿など共通するところは少なくない。

 「旅舎招婦ノ図」という副題も挿絵の「招嫖ヲ買フ」に由来するもので、「招婦 (嫖)」とは飯盛女を漢語表現したものだ。右手の布団部屋のような部屋で鏡台に向かっているのがこの旅籠の抱える飯盛女たちで、客の前に出るための準備に余念のない様が描かれている。

 左の部屋では旅装を解いてくつろぎ、煙草をくゆらせる客のもとに、宿の女が膳を運んできている。その横でかしこまった按摩(あんま)が用の有無を伺っている。 奥のほうには二階に上がる段梯子があり、「御用」の提灯(ちょうちん)を傍らに置く人の背中が、履物を脱ぐ仕草を想像させるので、 ここが宿の玄関なのだろう。廊下にはたった今、湯から上がった男が手ぬぐいを肩に掛けて帰ってくるなど、夕餉時の旅籠の活気ある様子が描き出されている。