46 庄野 (白雨)



 副題にある「白雨」とは夕立やにわか雨のことだ。 この図では、客を乗せた駕籠舁(かごかき)や鍬を担いだ土地の農夫らが、激しい雨を避けるために坂道を急ぐ姿がダイナミックな構図で描き出されている。

 明るい色で摺られた坂道や人々の姿に対し、背景は暗い色で摺り出されて、激しい雨に周囲の風景がかき消される様子がうまく表現されている。背景の竹林は、 一番手前のものは明瞭な線で描き出すものの、その後ろは濃淡二つの墨色で重ね摺ることで、雨に煙る様子を表現している。

 さらに一番上から激しい雨脚を薄墨で摺り重ねるなど、広重は色面で構成する木版画の特性をうまく利用しており、雨が大地を叩く音と竹林のざわめきが聞こえてくるような画面になっている。

 同じ保永堂版の「蒲原」では温暖な駿河国に降る大雪の現実性が議論となることもあったが、この「庄野」では、どの場所を描いたのかが問題とされることがある。

  かつて庄野宿があった三重県鈴鹿市庄野町の一帯は伊勢平野を流れる鈴鹿川沿いに位置しており、宿の近辺にこの図のような急坂を探すことは困難だ。これまで見てきたように、『東海道名所図会』の挿絵をもとにして少なからぬ図を描いてきた広重だから、この図も現実にある場所を写生したものではなく、彼の頭の中でつくられた一種の構想画と理解すべきなのだろう。

 考えてみれば、山道の向こうに生い茂る竹林、その間に蹲(うずくま)るように立つ藁葺(わらぶ)きの人家といった光景は、日本中どこにでもありそうな風景。

 保永堂版の中でともに最高傑作とされるこの「庄野」や雪降る夜の「蒲原」などを見ると、何の変哲もない風景を、雨や雪、霧といった気象現象の中に描き、そこに人々の日々の暮らしや風俗を織り込み、情趣性豊かで親しみやすい画面をつくり上げている。そこに、広重の絵師としての最良の資質が表れているといえるかもしれない。