52 石部 (目川ノ里)
土山、水口、石部と、東海道はほぼ野洲川に沿っている。かつて石部宿があったのは現在の滋賀県湖南市石部中央で、最寄り駅はJR草津線石部駅だ。
広重は保永堂版で「目川ノ里」、すなわち目川の立場(たてば)を描いているが、この場所は石部宿というよりも、むしろ草津宿のすぐ手前に位置していた。かっての立場跡に今は碑が立っていますが、最寄り駅はJR草津線の草津駅となる。
地理的には草津宿であるにもかかわらず、広重が石部宿にこの立場の光景を描いた理由は、彼がここでも『東海道名所図会』の挿絵に依拠したからだと考えられている。
保永堂版は、同書巻之二の挿絵「目川」から、茶屋の構造や踊りながら歩く旅人たちの姿などを、ほぼそのままのかたちで流用している。もちろん、例によって、やや低い視点で景観をとらえ直し、画面右奥へと遠ざかる街道、霞む遠山などを描き加えることで、俯瞰描写による説明的な挿絵とは異なる、高い実景感を生み出している。
ただ、同書を開いたとき、「目川」の挿絵は左ページで、右ページには石部宿の説明が書かれている。現地体験のない広重は、この配置を見て、目川の立場が石部宿の近くだと誤解したのだろう(広重は同じミスを「二川」でも犯している)。彼は後にその誤りに気づいたのか、後年の東海道物では石部宿で目川の立場を取り上げることはなく、旅龍屋の内部などを主に描いている。
目川の立場は菜飯と豆腐の味噌田楽が名物として知られていた。『東海道名所図会』には、目川はもともと村の名前だが、今では菜飯(炊きあがった飯に刻んだ蕪や大根の葉を混ぜ込んだもの)と豆腐の味噌田楽で知られ、全国各地に目川の名前を冠した店が出ている、という意味のことが書かれている。「名物にうまい物なし」などという諺もあるが、本居宣長や大田南畝らも、たいへん美味であったと日記に書き残している。