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富士登山の記−V (2019.8.11)


 今回の五回目の富士登山は、実はかなり前から考えていた。2年前の4回目の富士登山を終えたときに既に決意していたと言ってもよい。「2年後、還暦の歳に記念登山をして、それを最後にしよう。」という訳で、社内でも時々その決意を喋っていたら、同僚のS氏からも、かなり前から「自分も参加してもいいですか」との申し出があった。
 彼には、富士登山というのは、たとえば高尾山(東京八王子にある標高599mの名山で、かのミシュランガイドでも星を獲得している、都心から気軽に行けるレジャースポット)を3往復するぐらいの体力がなければダメだよ、と話していたが、彼はそもそも東京生まれにもかかわらず、高尾山に登ったことがないのだという。50代半ばの歳ではあるが、毎週のように草野球でピッチャーをやっているので、体力には自信を持っている様子だったが、山登りは持久力が勝負だから、本当に連れて行って大丈夫かと体力を見極めるために、まず一緒に高尾山に登ることにした。これが昨年12月24日のことである。高尾山は、とりあえず問題なかった。

 次に体力を見極めるために一緒に東海道の旧道を通って小田原から三島までの箱根八里(約32km)を歩くこととした(実は今年4月以降、日本橋から小田原までは1人で東海道の旧道を通算3日かけて歩いているのだが、その報告は、別途行いたい)。箱根旧道の石畳は登りも下りもキツかったが、何とか歩き通すことが出来た。箱根超えの時は靴が今ひとつ合わない感じで、足の甲に痛みも出てきたこともあり、自分の個人の感覚では、富士登山より箱根の山越えの方がキツイような気がした。
 そんなこともあって、S氏には「箱根の山越えが出来たのだから、富士登山は問題ないよ。7月最終週か8月最初の週の土日で登ろう」と計画を伝えていたが、仕事の都合もあり、また3連休で都合もよさそうなので、8月10日〜11日に実行することにした。すると彼は誰彼と富士登山のことを話していたらしく、野球チームの監督で、子供のときからの親友のT氏も一緒に行きたいとのことだった。野球を一緒にやっている友人なら、体力もあるだろうと思い、OKした。そのほかにも居酒屋のママとかにも声をかけていたらしく、これには驚いた。体型を知っているそのママが付いて来たいと言っても、無理だと断ったことだろう。富士登山は、体力があり、しっかりした準備をしていけば、誰でも出来る山登りだが、高尾山も登れない、平地を20km歩くぐらいの体力のない人には、無理だ。 最近は都心から吉田口五合目までの直通バスも運行しており、本当にサンダル履きの軽装で登ろうとする外国人も少なくない。これは無謀なことだと感じていたが、しだいに理解され始めているように思う。
 いつものとおり夕方河口湖駅の五合目行きのバス停に行くと、多くの人が並んでいて、しかも半分以上は外国人だ。2年前に比べると、東南アジアの人たちが多くなった感じがする。あとでS氏に聞くと、1時間前のバスはもっと多く並んでいて、結局バスの中で座れなかったとのことである。自分は毎回この時間(18:00発)のバスで五合目に行っているのだが、座れなかったことはない。ただ、毎年増えてくる登山者を見ると、S氏の言うとおり、バスの始発地である富士山駅に待ち合わせ場所を変更したほうがよさそうだ。次に登られる方の参考のために記しておく。

 ともかく吉田口五合目に18:55に着き、二人と会って、予定通り20:00頃登山開始とした。いつもどおり2300mの気圧に体を慣れさせるため、食事でもと思いレストランに上がり、今回はラーメンを食べることとした。ラーメン1杯800円である。
普通の観光地値段といったところか。富士山の絵が描かれた海苔と同じく富士山が描かれたカマボコが特徴だ。山頂に行けば、カップヌードルにお湯を掛けただけで、この値段となるので、特に高いとは思わない。普通においしいラーメンだった。さて、登ろうかと歩き始めると、登山協力金の案内が目に付いた。見ていると、多くの人は無視して通り過ぎるだけだが、登山のお守り代わりに、納めておこうと立ち寄って1000円を支払い、木製の札と小さな案内ガイドの冊子をもらった。
 案内ガイドは、夜であることもあり、バッグに入れて直ぐ見ることはなかったが、あとで開いてみるとなかなかいいことが書かれている。
1.基本事項 2.登山前の準備 3.吉田ルートの施設等 4.美しい富士山を守るために 5.登下山時の注意点 6.緊急時の対応 等々が30ページにわたって記載され、スマートフォンからも専門のサイトに容易にアクセスできるように、9つのQRコードが掲載されている。

 なにはともあれ、登り始めて1時間あまりで六合目、更に2時間で七合目に付き、順調に登って行った。その後は、初めて富士登山に挑戦するT氏の足がつるなど、不調が出始めて登りのペースが遅くなった。0時頃八合目の山小屋・太子館(約3,000m)に着いたときは、やや辛そうにも見えたが、日の出までには、まだ4時間半以上ある。ゆっくり休みながら登っていけば何とか間に合うだろうと、山小屋で20分ほど休憩して登りを再開、20分ほど休憩して登りを再開、を繰り返し、3:00頃、3,450mの御来光館に到着した。
 今のペースでは、山頂まで1時間半あまりでは、行けそうもないと判断し、持ってきた登山用のボンベで湯を沸かし、コーヒーを飲み、カップヌードルを食べることとして、ここでご来光を見ることにした。
 S氏もT氏も暖かいものを口に入れたせいか、少し元気が出てきたようだった。
過去4回今まで山頂ばかりで日の出を見てきたが、3,450mのここも「御来光館」の名のとおり、山小屋の正面から日が登ってきて、しかも眼下の山中湖の輪郭もわかるくらい適当に雲海が切れており、すばらしい眺めだった。
 同行の二人も初めての事で疲れた顔ながら、ご来光の景色の素晴らしさに感動している様子だった。
ただ、夜中に寝ずに歩いて来ているので、疲れは隠せず、その後、4歳ほど若い彼らの方が山頂到達に30分ほど遅れるという具合であった。 いつものとおりお鉢を半周回って剣ヶ峰に行くつもりだったが、火口を半周回り、もう登る気力が残っていないという様子で、2人とも、早く下山したいという意見だったので、剣ヶ峰は諦め、御殿場口から下山することとし、いつものとおり持参していた残暑見舞いのはがきを山頂の臨時郵便局のポストに投函した。
 下山を開始して、1時間ぐらいは順調だったが、昨夜からはがれ始めていて、ガムテープで応急処置をしていた、登山靴のゴム底の状態がいけない。 「赤岩八号館」に着いたときは、もうだめだと思い、店の人に相談 すると「ゴム長靴でよかったら、貸してあげるよ。あとで送り返してくれればいいから。」とのこと。本当に助かった。聞けばこのメーカーの靴は、よくゴム底がはがれている人を見かけるとのこと。
 長靴を借りて足元の心配がなくなり、こちらも元気が出てきた。七合目を過ぎて、いよいよ大砂走りだ。ここから2時間で大砂漠地帯を駆け下り、新五合目大石茶屋までは、山頂から3時間半が平均の下山時間だが、この歳ではなかなか駆けることが出来ない。4時間以上掛かってしまった。おまけに先に駆け下りていた初富士登山の2人からは、大砂走りでは、休憩する場所もなく、砂埃をかぶって、体中汚れまみれになってしまったと、大不興だ。いままで、そのようなことは感じなかったが、確かに体中砂埃にまみれ、汚れだらけになってしまうのは、重要なマイナスポイントかも知れない。
 もう自分自身が富士登山をやることはないと思うが、下山に御殿場ルートを選ぶのは、早く下山できる反面、汚れまみれになってしまうという、マイナスポイントもあることを理解しておく必要がある。あと、このルートは、最寄のバス停から御殿場駅への路線バスが2時間に1本しかないことも心しておかなければならない。富士登山の素晴らしさとその困難さを表す言葉に昔から「富士に登らぬ○○に、2度登る○○」という言葉がある。今回初登山の彼らは、今後2度、3度と登ることになるか、今回で終わりにするか、さてどちらだろうか?



富士登山の記−U (Tは、昔某社に在籍したとき、社内報に書いた文を下に載せています。 2017.7.31)


 富士山が「世界文化遺産になって、どう変わったか?」気になっていたこともあり、今年思い切って4回目の登頂を目指すこととした。4回目といっても、確認してみると19年ぶりだ。しかも当時からすると、体重もかなり増えている。長時間歩ける体力があるかどうか多少心配だったので、念のため6月のある日、約8キロ2時間ほど歩いてみた。ぜんぜん問題なし。「おい、おい、たった2時間の散歩ぐらいで、OKと判断していいのか?」と誰かの突っ込みが入りそうだが、「これで、いいのだ!」。
早速、会社の人間とか、知り合いに「一緒に登らない?」と声をかけてみたが、結局同行する者はいなかった。よし、1人であれば、相手の都合を考える必要もないので、平日に登ることにしよう。

 そして、迎えたのが予定日の7月27日(木)である。午前中ゆっくり寝てから午後自宅を出て2時間30分ほど公共交通機関を乗り継いで到着した「河口湖」駅。19年前とは見違えるように変わっていて驚いた。まず駅前が綺麗に整備され、街の建物もものすごく増えた感じだ。そして外国人の多さ。「吉田口5合目」行きのバス停に並んでいた10人足らずのうちの2組までが、ヨーロッパ系の外国人の若いカップルであった。それだけではない。向こうのほうでは、別な外国人が「忍野八海」行きのバスを探しているような声も聞こえた。バスに乗り込むと、その中にも外国人が・・、4割は外国人?、いや日本人に見えているのも、中国人かも知れない。これも世界遺産に認定された効果だろうか。


「吉田口5合目」(既に高度は2,305mである。)に着くと、平日にもかかわらず、なんと人の多いことか。それによく耳にする中国語。彼らは、ツアーで都心からの直通バスで来ているようだった。 いつものように高山病予防のため、1時間ほど、食事などでゆっくり過ごしてから、登り始める頃には、バスが着いたときに覆っていた霧もすっかり晴れ、雲海越しに眺めた夕日がとても綺麗だった。夕日が綺麗ということは、明日の天気は悪くない?!

さて、登るか・・と歩き始めると、脇のテントに「保全協力金」の文字が・・ 、これが例の、徴収し始めたという協力金だなと、財布から1,000円札を取り出しながら、話しかけると、どうやら係りの女性は日本人ではないらしい。 支払を済ませてグッズを貰い、ここまで国際化が進んできたか。感心しながら歩きを進めると、平日のためか、あるいは当局がいわゆる「弾丸登山」はお薦めできないとキャンペーンしているせいか、登山道はさほど人は多くなかった。

ゆっくり休憩しながら3時間ほど登ると、ほぼ予定通り7合目の山小屋に着いたが、そこでは多くの登山者で賑わっていた。しかも、英語、フランス語、中国語の会話が聞こえる。最近の日韓関係を反映してか、韓国語は聞こえなかったが・・・、なるほど1泊あるいは半泊の休憩で山頂を目指す人は、かなりの数になるようだ。ツアーガイドの案内の声掛けもあちこちで聞こえてきた。写真撮影が出来なかったことは残念だったが、空を仰ぐと満天の星が輝きとても綺麗だ。ツアー客の休憩の合間に、ガイドさんが、星座の解説をしているのも聞こえた。今日は風も弱くて、さほど寒くなく、登山にはかなりいいコンデションかもしれない。

深夜0時過ぎには、本八合目に着き、あと2時間ほどで山頂という地点まで来た。この場所の現在の気温は摂氏6度である。更に寒いはずの山頂で、日の出まで2時間あまりを過ごすよりはここで休憩をと、高を括っていたが、そうは問屋が卸さない。下を見ると、ツアー客とおぼしき大群が、一斉に登り始めてくるではないか。 大渋滞に巻き込まれて登るよりはと観念して、登りを再開した。
ゆっくり登ったつもりだったが、山頂に着いたときは、案の定、日の出まで2時間近くもあり、風も出てきた。スキーウエアの上着を、ヤッケ代わりに着ているが、それでも寒い。幾らかでも防寒になれば・・と、ビニールの雨合羽の上を取り出し、スキーウエアの上から羽織った。しばらく待っていると、東の空が明るくなってきた。 残念ながら、一面雲海に覆われていて、地上の様子は見えない。それでも高度1700メートルぐらいから上は雲がなく、ご来光は拝めそうだ。更に待つこと40分余りついに丸い太陽が見え始めた。 過去3回を含めて4回のうち、2番目に良い眺めのご来光だ。もちろん、一番は山中湖など地上の様子がくっきり見えた2回目のときのご来光だ。1回目のときは太陽の丸い形は殆ど見えず、3番目のときは、もっと雲の量が多く、雲海の高さも3,000メートル近くに達しているかと思われるような中でのご来光だった。こうして振り返ると、2回目のときのご来光は本当にラッキーだった。

ご来光を見終えたからには、例の剣ヶ峰の石柱で写真をとり、早く下山しよう。そうだ!その前に臨時郵便局から暑中見舞いのハガキも出さねばと思って急いだが、19年前と異なり、少し膝関節の具合も本調子ではないかも知れない。 下りで右足に体重が掛かるときに膝関節に弱い痛みがある。大事を取って、登りでは使わなかったステッキを使うことにした。
ともかく、いつものように右回りで剣ヶ峰に向かいながら下を眺めても、見えるはずの箱根・伊豆方面は完全に雲に覆われていた。あらかじめ用意していた暑中見舞いの葉書を臨時郵便局のポストに投函してから剣ヶ峰に続く「馬の背」へと急いだ。昔は剣ヶ峰といえば、ゴルフボールを大きくしたような気象庁の富士山レーダーの白いドームが目印だったが、無くなってみると、やや寂しい。 急な斜面を登ると、多くの人が写真撮影のために並んでいたが、それでも吉田口から登って、更にこの剣ヶ峰まで来る人は、ツァースケジュールの制限もあるためか、10%ぐらいに限られているようだ。だから、多くの人は富士山頂には登ったが、日本最高峰には到達していないことになる。

そして、いよいよ下山だ。これもいつものとおり御殿場口から下山しよう。 ところが、所要時間がいつものとおりではなかった。いつものとおりなら、下山道の大部分を占める「大砂走り」を駆け下るため、バス停がある「新五合目」まで、2時間半ほどで駆け下るのであるが、今日は膝関節の大事をとって、駆け下るのを断念したため、5時間近く掛かってしまった。ゆっくり下山したことで気づいたことだが、静岡県側の登山道は山梨県側に比べてあまり整備されていなくて寂れた気がするのは、ちょっと気がかりだ。と言っても、御殿場口しか確認していないので、次は、還暦記念で富士宮口から登ってみるか?それまで、あと2年。もう少しシェイプアップしなければ!!



祝 富士山 世界文化遺産登録!! (2013.6.26)


「富士に登らぬ○○に、二度登る○○」 こんな言葉があることを知ったのがキッカケで、最初に富士山に登ったのは、今から18年前の1995年夏のことだった。残念ながら「ご来光」はきれいに見えず、このままでは、心残りと、翌96年も登った。この時は素晴らしい眺めで、東の空が明るくなるとともに、眼下に山中湖もくっきりと見えて、素晴らしいご来光を見ることができた。
 二度登ったままでは、○○のままと思い、さらに1998年、三度目の富士登山となった。二度目、三度目は、最近言われている「弾丸登山」という登り方かもしれないが、はっきり言わせてもらえば、8号目あたりの山小屋で仮眠を取って登ると言うのは、それほどお勧めできない。理由は、畳1枚に2人がゴロ寝する程度の仮眠では、大した休憩にならないからだ。それよりは、登山前にしっかり休んで、5号目から一気に、しかし自分のペースでゆっくり上るほうが良いように思う。テレビで、山小屋での仮眠なしで登ることを一様に「弾丸登山」と批判しているコメンテーターを見ると、「ああ、この人は実際には富士登山の経験はないんだろうな」と思えてくる。
 高山病は、既に高度2,300メートルを超えている5号目で、ゆっくり身体を気圧に慣れさせてから登れば防げることだと思う。詳しいことは、以前勤めていた会社の社内報に載せた、下記「富士登山の記」を読んでみてください。(画像をクリックすれば、PDFファイルが開きます。) また、MOVIEのページには、富士山を山梨上空から見た動画もありますので、よかったら訪ねてみてください。
  なお、急遽、環境省、山梨県、静岡県合同により「富士登山オフィシャルサイト」が開設されたようなので、これから富士に登られる方は、是非一度確認ください。 公式サイトのHPを開く

富士登山の記(1998.10)
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